山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
夏目漱石の詩、「童謡」には源兵衛と源兵衛の馬が出てくる。
その詩の中で漱石は、源兵衛は好きだが源兵衛の馬は悪馬だと云っている。
源兵衛が 烟草のむまに
源兵衛の 馬が垣根の
白と赤の 山茶花を食った
源兵衛の 烟草あ臭いが
源兵衛は 好きなぢゝいだ
源兵衛の 馬は悪馬だ
夏目漱石「童謡」より抜粋
悪馬と呼ぶ理由は、当然、垣根の山茶花の花を食ったからと思っていた。
が、山茶花を食ったくらいで漱石は悪馬と呼ぶだろうか?
誰か(何か)を比喩しているのではなかろうか?
以前、「童謡」にふさわしいメロディを考えたときと同様に、
あれこれと別の理由を考えた。
夏目漱石の詩 「童謡」 と 源兵衛
http://masaji.at.webry.info/200608/article_4.html
散りかかった山茶花を観ていて、次のような椿説(珍説)が浮かんだ。
椿説
源兵衛: 善人の喩え
源兵衛の馬: 悪者の喩え
理由
源兵衛: くさい烟草を平気ですぱすぱすう
→ 文人 (漱石が愛煙家かどうかは要調査) → 好き
源兵衛の馬: 山茶花をくう(=さざんかくう=さざんがきゅう=計算高い)
→ 山茶花をくう(計算高い)人間 (例:悪徳商人など) → 悪い
ちょっと待てよ!
漱石は悪馬と云っているが「憎めない可愛い奴」と思っているに違いない。
山路(やまみち)を登りながら考えることは、いつもお粗末な(くだらない)ことばかり・・・
そういえば、むかし山茶花究という俳優さんがいました。
日本映画史上、希有な魅力をもった脇役専門の俳優さんでしたね。
俳優になるとき、芸名をつけるのに窮して、
「窮する」から「さざんがきゅう」が頭に浮かび「山茶花究」としたそうです。
また、わからないことができた。
滝沢馬琴は何故「珍説」を「椿説」としたのだろう。
もう一度、山路(やまみち)を登らなければ・・・
2007年4月20日